新宗教「コスモメイト」の奇妙な叩かれ方
十年前の創価学会叩きとソックリな手口
 

丸山実


また始まった“新宗教狩り”の実態

十年一昔、歴史は繰り返す、とはよくいったものである。いまから約十年前、私は創価学会がマスコミによって袋叩きにあっていた頃、『狙われた創価学会―「月刊ペン事件」の内幕』という本を上梓した。ベストセラーとなり、いまでは幻の本として、神田周辺の古本屋では定価の二、三倍で売られていると聞く。
 いきなり私事について述べたのは他でもなく、昨年からマスコミはなぜか、新宗教団体叩きをいっせいにやりはじめたからである。一つや二つの宗教団体を叩くのなら、売上や視聴率が絶対とされているマスコミであるから、商業政策からの企画であるだろうか、と私などのようなジャーナリストなら笑って見すごすことであった。
 しかし、ここのところのマスコミによる“新宗教団体狩り”は異常としか見えない。
 しかも、バッシングの対象になった宗教団体のいずれもが信者数が二万(公称)以上のきちんとしたものである。
 冒頭に述べた拙著が幻の本として神田の古本屋あたりで定価の二、三倍で売れているという状況は、なんとなく、気にかかるのは、あの頃の状況といまの状況が判じ絵のように重なり合うからである。
 十年前、創価学会がマスコミのいっせい放火を浴びたのは、宗教としての信仰の問題とか教義の問題ではなく、池田大作会長(当時)のスキャンダルであった。それも金と女という、最も下劣な問題でマスコミは面白くおかしく書きたてた。
 そして遂には裁判闘争にまで入り、法廷で何十回となく下半身スキャンダルの生々しい話が繰り返しマスコミに書きたてられていた。結果は、スキャンダルの事実が立証できず、ということで池田大作会長の名誉が回復されたが、世間では、いったんマスコミが書き立て報道によって先入観が横溢していたので、今日にまでその尾を引きずったままである。
 要するにマスコミの書き得ということになり、それを陰で演出したグループは裁判で負けたとはいえ、一定の成果をあげたことになったわけだ。
 拙著は、その演出グループの実態とバッシングの手法を暴いたものであり、マスコミとダーティなグループがなぜ手を結ぶのか、という深層部分まで筆をすすめていたので、いままた古本屋で売れ出したのではないか。
 そこで、いま盛んにおこなわれている新宗教団体叩きの謎を解きたいと義憤にかりたてられている。しかも、「新興宗教」という差別用語を平気で使うマスコミの“宗教オンチ”にも腹が立つからである。
 いままた、なぜ新宗教バッシングなのか。その背景は後にゆずるとして、まず一番最近バッシングを受けている「コスモメイト」に眼を向けてみよう。
 「コスモメイト」信者(会員)数二万人という中堅どころの団体である。教祖は深見青山というまだ四十二歳の若さであるようだ。それに独身であるという。
 下半身のスキャンダルで叩けば、一番効果がある条件が備わっているわけだ。事実『サンデー毎日』や『週刊新潮』をはじめとしたマスコミは、「コスモメイト」を叩くにあたって、深見青山教祖の下半身スキャンダルとカネの行方をめぐった記事で終始されている。
 一昔前の“新宗教狩り”と全く同じ手口である、しかも、ライターの責任の存在がわからない無署名記事である。
 このような記事は、私などジャーナリストにいわせれば「露払い」と呼んでいる。責任の所在がわからないから、好きなようにデッチあげることができるわけだ。取材もいい加減で、ほとんどが伝聞や噂でかためてしまう。
 つまり「火のないところに煙はたたない」というイメージづくりをするのである。この後に、必ず署名入りの記事がどこかのメディアを使って出てくる。だから「露払い」と呼ばれているのだが。




「コスモメイト」が下半身醜聞で叩かれる

あんのじょう出てきた。米本和広というルポライターである。この人物は宗教問題に精通しているとは聞いたこともない。そのようなライターが『宝島30』という創刊月刊誌に登場してきたのである。約十頁にわたる記事は、「露払い」で各週刊誌が書いてきた内容に比べ少しも新しいネタがなく、ただ集大成したものであった。
 一昔前、創価学会バッシングのときと同じなのである。他のマスコミが「露払い」をした後、署名入り記事で表に出てきたのが『週刊文春』であった。そして、内藤国夫という新聞記事あがりのライターが米本和広のようにハネたのである。内藤国夫も宗教の「宗」も知らないライターであった。
 それだけでは不足とみたか、『月刊ペン』という月刊誌に隅部といういまはなくなっているが、戦時中、特務機関に所属していたといわれる人物が池田大作の下半身スキャンダルを書きたてたのである。
 気持ちが悪いくらい、一致する。記事の内容を改めて検討すれば、新宗教がなぜ今日、日本の民衆に支えられているのか、という重要なポイントには一行も触れていないのである。
 それは創価学会の場合でも「コスモメイト」の場合でも同様であった。「コスモメイト」の場合は、僅かに、あちこちの宗教団体の教義をスリ鉢に入れスリコギでぐちゃぐちゃとかき混ぜたようなものだ、と、およそ宗教団体を批判する資質を私は持っていませんと証明しているようなライターのものである。そういえば、最近のフリーライターは勉強不足である。私は十年以上にわたって日本ジャーナリスト専門学校で教えているが、僅か二年余り勉強したぐらいで週刊誌など取材記者となり、一寸、原稿が書けるようになると、いっぱしのフリーライター気分で名刺をつくって走り回っている。若いうちは怖れをしらないものだ。だからそれでも通用するのだが、問題は取材の仕方である。
 くだんの米本和広ライターは、その点ライターの風かみにもおけないような取材態度であった、と聞いている。
 深見青山教祖やその周辺者に取材するにあたって、電話でいきなり相手を呼び捨てにしていたとか。自分はそれほど相手を糾弾できると思っているのだろうか。もしそうであるとしたら、ライターとしては失格である。
 創価学会の場合の内藤国夫もそうであった。相手を糾弾するために原稿を書こうとする気ばかりが先に立つものであるから、宗教という存在を全く抜きにされてしまった。だから、池田大作会長が千万人以上の信者のトップに立ったのは、「下半身」だ、というムリな論理をいわざるを得なくなるわけだ。
 「コスモメイト」もそうだ。二万人の信者(会員)が深見青山教祖の「下半身」によって生まれた、というのだろうか。
 このようにゆがめられた記事が宗教の存在理由もわからないライターによってデッチあげあれる方が私を恐怖させる。




「宮廷革命」を画策する元幹部たち

そこで気付くのは、「コスモメイト」という宗教団体そのものを批判していないことだ。記事の全ては深見青山教祖とその側近が、どのようにして信者(会員)をダマしてカネを吸いあげているか、というものである。
 そして、最高幹部は海外に遊びに行くための費用にしていた、と書きたて、幹部の人格破壊にキュウキュウとしている様が見え見えの記事になっている。
 創価学会の場合もそうであった。池田大作とその側近のスキャンダルを書きたてるが創価学会組織そのものへの批判が記事にあらわれなかったのである。
 当時、私は署名記事で登場した内藤国夫やその他のライターは、内部からの情報提供者がいる。そしてその情報提供者はなんらかの形で「宮内革命」を画策しているだろう、と読んだ。
 あんのじょう、しばらくして、『週刊文春』に、創価学会の顧問弁護士であった山崎正友という人物がベールを脱いだ。
 彼は、池田大作を会長の坐から引きずりおろして、自分達が権力を握りたかったのである。いわゆる「宮内革命」をおこしたかった。
「コスモメイト」もやはり同じではないのか、と思っていたところに、村田某という存在が陰にいることを知った。
 
週刊誌の「露払い」記事の目玉である「セクハラ訴訟」の原告の女性たち全てが「コスモメイト」に所属していた時の上司であった、という人物である。 
 それを知った時、私は、思わず失笑してしまった。村田某といえば、宗教プロパーのライターなら誰でも知っている。
 この人物の前歴がユニークだから、宗教的な関心事ではないことで知っているのだ。それというのも、三回も離婚を繰り返し、そろそろ四回目の結婚をするのではないか、と一部では囁かれているからである。
 まあ、宗教家としては、余り信用のおけない人物のようだ。それに三回とも女性の方から離れていった、というから、よほどのそれこそ“欠陥車”ではないか。
 そういえば、創価学会の山崎正友も同じようなご仁であった。身長が一般人より低いことがコンプレックスとなって、特別なシューズをつくらせていたりしていたものだ。そのようなコンプレックスのかたまり人間は、とかく権力欲がにえたぎっており裏切りの人生を生きる者であるといわれている。
 村田某は、その前歴からして、たとえば某専門学校の講師をしていた、と吹聴していたようだが、当の専門学校に問合わせたところ「知りません」という返事であった。
 好意的に考えて、専門学校というところは三回ぐらい臨時講師を頼むことがある。たとえ一、二回でも講師に行けば、講師であったことは間違いないのだから、経歴詐欺にはなるまい、しかし、この人物の不気味なところは左の小指が短いことだ。その筋の者にいわせれば、「これは指をつめているね」という。
 指をつめたからといって、その人間の一生がそれによって規制されるというのは、あきらかに差別ではあるが、しかし、やはり、一般人からみれば不気味であるといわざるを得ない事も事実だ。
 とにかくこのような人物が、今度の「コスモメイト」バッシングの陰でうごめいていたとなれば、さらにその陰に別なグループが存在していると観るのが当然なことである。 
 創価学会もそうであった。文春長を中核にすえ、内藤国夫、山崎正友が円卓の騎士よろしくバッシング部隊を編成している。
「コスモメイト」の場合は、村田某を中核にすえ米本和広、宝島編集部がさしずめそうになる。
 閑話休題。宝島だが、ここは、過激派といわれていた新左翼の一方の雄であった革マルというところの幹部がつくった新雑誌である。
 当初は、革マルの運動資金の調達機関か、と囁かれたものだが、何時とはなしに現代若者気質の文化を満パイにすることで人気を呼んで、次々と別冊宝島を出しているという雑誌社である。
 米本和広というライターが「コスモメイト」のスキャンダルを書いた「宝島30」はそのなかの一冊として、この五月に創刊された別冊である。
 ここまで書けば、賢い読者ならばおわかりだと思うが、売れるものはなんでも企画するというアイデンティティゼロの雑誌といってよい。
 だからこそ、宗教によって立つ問題をネグレクトして、いたずらに下半身スキャンダルを中心にした「宗教家批判」が平気で載せられることにもなるのだが―――。




追放された村田幹部と藤波元代議士らの奇妙な働き

 下品なる人格の持主が画策することで生まれた「コスモメイト」バッシングであることは、これまでの分析によって明確になったわけだ。
 問題は、マスコミをこれだけ動かす力が彼らにあるかどうか、である。そのまえに、彼らが懸命になって書きたてるスキャンダルのなかにカネの問題がある。年間、百億円はくだらない浄財が入るというのだ。
 彼らがそれを口にするのは、「コスモメイト」は信者(会員)に信頼されているという裏返しにもなるのだが、問題はこの浄財にすり寄ってくる者が多いということになる。それは政治家をも含めて数多い。創価学会問題の時も、様々な人間模様が描かれている。
 そこで「コスモメイト」にまつわるそのような人間やグループを探したところ「伊勢グループ」と呼ばれる存在を知ることができた。
 この「伊勢グループ」は、リクルート疑惑でミソをつけた藤波元官房長官を中心にしたものである、という情報も得たのである。
「コスモメイト」側は、取材に対して、「藤波先生は、たしかに当組織に関係していましたが、昨年の十二月で退会しています」という。
 藤波元代議士が「コスモメイト」の信者(会員)であったわけだ。そこで更に取材を進めて行くと、どうやら今回、「宮廷革命」を画策している村田某(ここではっきり名前をあげると村田康一、五十一歳)が、「コスモメイト」の実質NO3の立場にいた頃の関係者であったという。
 藤波元代議士および「伊勢グループ」が昨年十二月に退会してから、「コスモメイト」のなかでおかしな問題が起きはじめている。そして今年の三月に、その動きの陰に村田康一の存在があり、とわかった段階で彼は「コスモメイト」から追放されるのであった。
 その後に、深見青山教祖の「セクハラ」が週刊誌ダネとなり、やがて2人の女性が名誉毀損と損害賠償の民事訴訟を起こしている。

 これも創価学会問題と同じパターンなのである。山崎正友という顧問弁護士は池田大作の側近中の側近として君臨していたのだが、反池田グループのトップに祭りあげることで「宮廷革命」を画策するようになっている。
 それが発覚し、学会より追放されるや顧問弁護士時代に得た秘密情報を次々とマスコミに流すことで、一時期、反創価学会の旗手としてマスコミにもてはやされている。
「コスモメイト」の村田康一も同じ道をたどったと断言していいだろう。
 問題は、その裏だ。創価学会の場合は公明党という政党の動き一つで保守権力が瓦解する危機を抑えていたこともあって、創価学会を揺さぶるのが目的というのがはっきりしていた。それに池田大作の創価学会を反グループが奪うという目的が一致して起こされたクーデターであった。
 しかし、千万人を越す信者は、民衆宗教とは何か、を身につけていた池田大作をスキャンダルぐらいでは見離さなかった結果、今日においても磐石の組織をほこっている。
「コスモメイト」はどうか。いまはじまったばかりの下半身スキャンダルだが、この画策グループの裏に誰がいるのか。
 それには、まず米本和広というライターの存在を洗うのが早道である。なぜなら、このご仁は、幸福の科学の大川隆法教祖との関係が良きにせよ悪しきにせよとやかくいわれているからである。
 幸福の科学は、既成宗教のように、布教活動はしない。まず、人間を救済するものは天地絶対の法則(自然科学)をわかりやすく説いた書物を発行する。それを読んだ読者が心の琴線に触れたら、それが信者として成長するまで何冊も書物を読ませるのである。いわゆる「バイブル商法」というやつである。
 米本和広は、その「バイブル商法」の担い手をしていたという話もある。
 ところで「コスモメイト」の布教活動はどうか。ここも幸福の科学と似ている。深見青山教祖が民衆の救済を説く書物を何十冊も発行している。そして信者と呼ばれる人は、その本に感激して会員になっている。それが信者として一般的に流布されているわけだ。
 頭の良い読者ならこれですべてが見えてくるのだろう。
 幸福の科学と「コスモメイト」は競合する関係にあるわけだ。
 ここにも創価学会と同じ問題が生じている。一時期、日本共産党と創価学会は向う十年間は喧嘩するのはやめましょうといって「創共十年協定」なるものを結んだ。
 というのは、共産党の党員と創価学会の信者ないしは公明党のシンパが同じ層の人たちであり、毎日のように各地域において争いがたえなかったのである。結局のところ「協定」は数年後に解消されてしまうのだが、とにかく競合する層が信者ないしは党員であることは、お互いに目の上のたんこぶであるわけだ。
「コスモメイト」も幸福の科学もその意味ではソックリということになる。
ましてや幸福の科学は、博報堂という大手広告代理店の力を借りて、大々的に打って出たはよいが、マスコミの好餌となり、写真週刊誌『フライデー』とはおよそ宗教団体らしくはない争いを起こしている。
 そして、マスコミ相手の訴訟合戦はいまのところ連敗であるという事情も絡んで信者(会員)数が落ちこみはじめているという情報もある。
 さて、その幸福の科学にとって信者(会員)数が伸びている「コスモメイト」はどのような存在になるのか。そしてそこに現れた「コスモメイト」バッシングの米本和広の存在を知れば、陰謀の匂いがプンプンとするといえまいか。
 残念ながら与えられた紙数も尽きたので、この結末は次の機会にゆずろう。



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